2017年 04月 29日
「男の夢を消したらアカン」 多田喜代一物語 ⑤
世の中には連休だろうが土日だろうが一生懸命働いている人も大勢居られる、オイラはリタイヤ人生毎日がオヤスミ何か勉強でもしなければ人生終わりと思われてならない。
「酒けなくて、何がオノレの、生きザマヤ」 「てなもんや三度笠」 勉強したら良いやん英会話なんぞ如何?
てなことで転倒大好きオイラの可愛い喜代一さんの転倒記録のご披露と参ります。
その翌年の1981年3月の鈴鹿第1戦でモリワキモンスターに乗って予選でヘアピン過ぎの右右(お前は右右が弱いな~で転倒(アジャ~)マシンは大破、ウレタンは撒きチラシたガソリンで燃え上がり赤旗になりました。
デモね決勝は走りたい・・・左足首をガードレールで切り足のクルブシを5針縫い足首も腫れあがり、ブーツのファスナーが締まらずガムテープでブーツを巻いて決勝に挑みました(また転びに行くんかい???)
その当時はまだ押し掛けスタートだったので、決勝日に森脇社長が主催者側との交渉で初めてのエンジンスタートになりました。
決勝は何時もの2番手からのスタート阿部ちゃんがトップで私は2番手、後にはスーパーモンキーの福井
正選手、上田幸也、木下 淳選手と続く・・・サーハジマリ始まり・・・3周目2番手を走るモリワキモンスターを駆る多田喜代一選手がこともあろうにS字で転倒本人は意識不明バイクとガードレールに挟まれた感じになり、ヘルメットにタイヤが空回りした時に付いた削れた跡が残っていました。
チームメイトの河合選手が挟まれた自分の体を引きずり出してくれて、救急車で中勢病院に搬送されていました、その時には意識はもう戻っており、息が出来ないくらい胸の辺りが痛く先生が色々チエックした結果足が動くので神経は大丈夫かな?だっつて、その後移動式のレントゲンで撮影(胸が痛いチュウのに無理やり起こされ)が死ぬ思いの中、撮影が終わり結果を見てコノ病院で手術は無理と判断慌てて他の病院を手配して何日かアトに三重医大の方に搬送されました。
再度レントゲン検査の結果、第6~9脊推粉砕骨折、肋骨9本(6骨は6本違うんかい?)鎖骨右骨折おまけに肺に出血、ア~生きていてよかった(これからどうなるか分らないのにアホやな~)
三重医科大学病院のお話は(何やら病室にコンロを持ち込んで焼肉パーテー???)次に回します。
マダ続クンかい・・・いずれにしても転倒ナンでするん野郎、欠陥車違うかな~でも今も相変わらず減らず口叩いてる、
イヤーなんと運の強いお人やろ、「不死身喜代一これからどんなことになるのかな~」乞うご期待である。
それにしても多田は何故転倒が好きなん野郎、体がチビて少しずつ小さくなっているのでは?ハハハ
どうなるのかひとまず今日の処はこれにてお許しを・・・次回をお楽しみに・・・本人現在もピンピンしておりますご安心を・・・
このウイリーお客様サービス、ピットイン 5周前には必ずやってお客様より喝采を!!!
KSSR 神戸スーパースポーツレーシング 平井道場