イヨイヨ明石に出勤が始まった時まさに昭和35年

 ヤッパ川崎航空機工業株式会社明石工場は広い何しろ明石和坂(カニガサカ)~西明石まで約2キロはあるだろうか?マー練習機が飛べる滑走路があったからそのくらいはあったのだろう、終戦後貧乏して土地を切り売り鍋釜を造ったりしていた時代もあったらしい。
e0361727_813530.jpg

 丁度真ん中の下右寄りに国道2号線とJRが交差している、右上に西明石駅がアル

 色々会社の皆さんはご苦労をして会社を守ってっいたらしい、空襲を受けて工場はズタズタ滑走路は穴だらけ(丁度お袋が結核で藤江の方に入院しており工場の焼け跡、滑走路を横断して見まいに行った覚えが甦る昭和24~26年ぐらいか?)吸収されて初出勤、地下室の更衣室に案内された時砲弾のアト、多くの方が亡く成れたらしい、その方々には申し訳ないが地下室に行くのは・・・「怖かった」・・・
 それにしても我々が吸収されていったのは、昭和36年に設立された カワサキ自動車販売㈱直需課工場の東南に位置する4研と呼ばれていた建物に兵庫県を担当する直需課課長故松田与一・主任平井稔男・故吉永興世?・灘口恭ちゃん(以上近畿メイハツ)その後、故大チャン・森ちゃん・ごっちゃんがここに加わったか?全国の販売を担当したのは、同じく吸収されてメグロから来られた、井口さん・内田さん・山崎さんの3人(名前を書いてもわからないね)、全国を担当していたのだろうか?メグロの代理店を担当して回っておられた。

 当時の販売していたペット・オートバイの主力商品は、M-5とB-7の二機種

e0361727_855403.jpg

 M-5 これは今でもあれば売れるであろう傑作
 全長1,744×前幅6,35×全高930 空冷2サイクル単気筒50cc最高速75KM/H 4速 63,000円
 イヤー素晴らしいペットだった何しろ前後サスにラバーを採用したクッション、豆腐屋さんが水が濁らないと自慢のペット

写真が無いが
 B-7(ビーセブンかビーナナ) こいつはかなりてこずったマシン、何しろ一次がチエーン駆動少し時間がたって馴らしが終わるころ、一次チエーンが弛みカバーを叩いて異音発生・・・B-8から一次駆動をチエンからギヤーに変更、今度はギヤーのバックラッシュ音・・・対策はギヤーをダブルヘリカルでやっと音対策が出来たもんだ、オイル漏れ(エンジン回りがオイル漏れに砂がコビリ付きドロドロ・・・いや~セールス泣かせ・・・ だがね!1年過ぎると真価を発揮、力強いエンジンが泥まみれながらユーザの皆さんのお気に入り耐久性抜群、営業は一年の我慢だったが、オイル漏れはB-8にも遺伝して居たっけ・・・

 それともう一つカワサキの部品供給が満々デ―(ワカルカナ遅いんや)イヤー参った・・・展示車の部品が無くなる、売れない困ったもんやった・・・今は違うで~すぐに来る・・・何せ平井部品課長さんが頑張っていたから???アホ何にもなっていない、良くなったんは後からや内科・・・チャンチャン

 自慢じゃ無いが会社の部署でやらしてもらえなかったのは、人事と経理何しろチャランポランやったからな?

 さて本論に戻ろう・・・ちなみにホンダは1年間はバッチリ働き、その後はイササカ劣化が早かったが(オイラは思ったヤッパホンダはエライ1年元気だったらエエヤン)・・・「てなもんや三度笠」・・・それはイカン

 カワサキは真面目すぎる?ホンダは先見の明あり素晴らしい?ヤット・・・オートバイメーカーもカワサキ・スズキ・ホンダ・ヤマハ(イロハ順)に淘汰されてきた(何しろ立ち上がりは、ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキに加えBS・トーハツ・ポインター・マーチン等々沢山あったもんだ。

 売れる順番はホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ・・・トホ・・・デも地元兵庫県は唯一他社より沢山売れていたんだヨ~ン。
 それから、B-8・B-53・1963年にはMFJ主催第一回モトクロス大会にデビユーしたカワサキB-8Mが、1位から6位までを独占する快挙成し遂げたのであります。
これが B-8M
e0361727_15422911.jpg
                          カワサキB-8 完全優勝の文字が誇らしい!
e0361727_15432693.jpg

 カワサキはレース大好きな上役が沢山居られここからレースの輝かしいカワサキが生まれたのかも?
 マシンも1965年頃からカワサキの傘下に入ったメグロの250メグロSG・250メグロSGTが生まれイヨイヨあの名車650W-1が1966年に誕生したのであります。
e0361727_10313979.jpg

 あの排気音キャブトンマフラーから発する腹の底から響き渡る音楽?チョット横道に逸れよう!!!

 カワサキとして世に送り出したバチカル・ツインのダブワン本来は輸出車として生まれたもので国内では注文生産だったのである。
 当時は米国のオートバイ界に英国のBSAやトライアンフが君臨しており、メッキ仕上げされたタンク、ツートンカラーのシート等大変なのはチエンジが英国車に準じて右側に配置されW-1はBSAのコピー車と云われていたもんや・・・
 それらを比較したストーリーも生まれたほどであった。
e0361727_10531348.jpg

 BSAとW-1との比較
e0361727_10541213.jpg

 エンジン内部の比較

 イヤ・・・おんなじかも???そんなことないメグロX650の後を継ぎ純粋なカワサキダブワンである。

 イカンイカン この様に思い出して行ったらいくら時間があっても終わらない・・・どうしようチョット考えます。
何しろ勤続約40数年ほどいや~いろんなことがありました。

 ドナンしたらいいのかな~ ワカラン ま~何とかなるやろ・・・ちょっと考えさせてください。

 と言うことで今日の処はここでお許しを下さい・・・トホホ・・・

                   KSSR神戸スーパースポーツレーシング 平井道場
 
 

[PR]
by KSSR_Hirai | 2016-12-24 06:00 | チームグリーンを愛する馬鹿な男の夢 | Comments(0)