2017年 02月 10日
「男の夢を消したらアカン」 コーヒーブレーク 塚本昭一氏寄稿版
オイラの胃がん全摘切腹のときも、カーちゃんと二人で付き添ってくれたナイスガイ、今や切っても切れない中やんか?・・・
「てなもんや三度笠」・・・鬼が出るか蛇が出るか・・・お楽しみの幕開けです。
チャンピォンを獲得した「塚本昭一」の雄姿、MFJロード1992年最終戦Fー1決勝 塚本昭一&北川圭一のカワサキ同士の果し合いチャンピォン争奪戦やメーカーはどっちが勝ってもエエヤン、怪我せんと走ってや!
「てなもんや三度笠」・・・二人は絶対ワシやと目を光らせて・・・前を走った方がチャンピォン、おもろかった!
何しろスタートを2回もやり直し(一回目は北川選手自らのチョンボ)2回目はカワサキの宮崎祥司選手の転倒)3度目の正直昭一が飛んで出て行きました。
そのチャンピォンが語る彼 「塚本昭一」 のカワサキ車GPZ400Rを初めて跨いだとき25歳青春の興奮が出て来たぞ~見て頂戴・・・オイラとは19才で出会いモトクロス、25才で再度出会いロード離れない因縁の仲か.....
僕、塚本昭一が初めてTEAM GREENのテストに参加したのは、1986年鈴鹿4時間耐久に出るための合同練習5月の土砂降りの雨の中富士スピード ウェイでGPZ400Rに跨った時でした。
そこで、6才も年上の多田喜代一先輩と5歳年下の宗和孝弘先輩?とも初顔合わせ・・・ナンセ雨が土砂降りの中での滑りやすいコンディションの中で怖さだけが残ったテストとなりました、デモねライダーの気持ちもナンのソノ激しい雨のサーキットでも平井迷監督だけがハシャイデいたように記憶しております。
僕の相棒は、京都ボブキャットレーシングチームの志賀 満 選手(この頃のカワサキ乗りの中では、鈴鹿サンディレースなんかで一番成績を残していた選手)と決まり、鈴鹿のスポーツ走行でも二人でともに練習を
ところが志賀選手が逆バンクで転倒!鎖骨骨折でリタイヤまたまた相棒探しにテンやワンや・・・
次に白羽を立てたのが名古屋の石田元広選手(目茶目茶男前)
この写真4時間スタート前の時か男前石田選手が傘を塚本にさしかけている写真
数日のテストも無事にこなし予選当日とになりました!ゼッケンはエディローソンと同じ#21、合いマミエル敵は、ホンダが新型CBR400を投入し、VFR400と共にポールポジションを争い、ヤマハFZR400、スズキはGSX400R、迎え撃つカワサキはGPZ400R(マシンは宗和選手のお古)それでもライムグリーンのカワサキは楽しさ優先で楽しく走らせることが出来ました。(アホ勝たなアカンやん)
トップはヤマモトレーシングのVFR400で2分30秒4をたたき出した岩橋選手、2位は2分30秒8のモリワキの江島選手・・・僕は2分34秒台だったと思いますが、ベスト10にも入れずイマイチ下手くそでした。
「コリャちゃんと走らんかい、何考えとるんじゃアホ」と八ッパをしかける平井迷監督
4耐といえども、キャンギャルが群がるチームが多い中、我が男カワサキTEAM GREEN は強面のオッサンばかりで固められたチームでした。 「あたり前田のクラッカー」「女性は嫌いや」ほんまやで~
女性が一人もいないピット
しかしKHIを代表するレース好きの精鋭が集まったチームで非常に楽しく走る環境を造ってくれました、この人たちが1987年あのコーク&ボブ、宗和&多田、今、迷監督が必死に書き下ろしている「男の夢を消したらアカン」の鈴鹿8耐を盛り上げ旋風を巻き起こしたカワサキファクトリー復活の礎として基盤となった人たちでした。
コレ決勝のライダーチェンジ「シケインでオイルが」
晴天で迎えた決勝レース、スタートライダーを務め、予定通りの一桁で石田選手にバトンタッチ!石田選手も順調に一桁をキープ調子良しと思ったのだが残念シケインで転倒!!!ピットに帰ってきて修理して再スタートしましたが、かなりのロスタイム後ろからの追い上げレース・・・デモね最終15位で完走初めてのレースで有終の美?を飾ることが出来ました。
追い上げの最中の逆バンクの写真とありますがゼッケンが#5???ナンセ昭一が上手い・・・
リアが滑って逆ハン切ってますとアピールしたかったんと違うか・・・ヤッパウマイ
そやけどヤッパこっつちが断然うまい、このシーズンのエピソードなんか書いちゃっておくんなさい!!!
皆さん「私待ってます」ジャ ル・マンでもイイよ、何でもいいよ・・・
KSSR 神戸スーパースポーツレーシング 平井道場
追伸 オーイ ショウちゃん・・・喜代一・・・早よ書いてな~ 「私待っています」
明日は、仲間が集まり飲み会 一日早いのですがUPします見てください。